『海外進学生へのステレオタイプ』批判

みなさん、こんにちは!


慶應に来てから、いい仲間に恵まれすぎて、

秋から海外の大学に進学するのが物恋しくなるこの季節に、

ひたすらに予定を詰め込み、またまた体調を崩してしまったYuichiです。


先日、オオサカジンが『海外進学生へのステレオタイプ』という記事を書いていたんですが、

みなさんご覧いただけましたか???


通学時間の間に、こうしてあらくれの他のメンバーの記事もちょくちょく読んでいるんですが、

今回は彼が書いた記事を

「批判」

させていただこうかと思います。




オオサカジンの彼は、この記事の最後にこう綴っています。


『ステレオタイプって捨てるのがすごく難しいんですよね。 でもそこから一歩引いて、物事を把握する力が大事だと思います。 ステレオタイプから社会情勢も紐解けたりするんではないでしょうか?』


確かに、この議論は一見正論のように見えます。しかし、社会心理学を学んでいる立場から、この以下にも「ステレオタイプは捨てることができる」「ステレオタイプは捨てないといけない」という考えには異を唱えたい部分があります。


1995年に、アメリカ心理学協会(通称APA)で発表されたイェール大学のバナージ教授とワシントン大学のグリーンワルド教授の論文 “Implicit Social Cognition: Attitudes, Self-Esteem, and Stereotypes” の冒頭にこういう記述があります。


“Social behavior is ordinarily treated as being under conscious (if not always thoughtful) control. However, considerable evidence now supports the view that social behavior often operates in an implicit or unconscious fashion. The identifying feature of implicit cognition is that past experience influences judgment in a fashion not introspectively known by the actor.”

“The finding that implicit cognitive effects are often reduced by focusing judge’s attention on their judgement task provides a basis for evaluating applications (such as affirmative action) aimed at reducing such unintended discrimination.”


つまるところ何が書かれているかというと、「ステレオタイプは無意識的に過去の経験から形成されるが、ステレオタイプを抱いているという意識をすることで、その偏見を減らすことができる」、ということです。


社会心理学的に考えると、人間がステレオタイプを捨てることなどできません。そして、この事実に僕は納得していて、ステレオタイプは捨てないといけないという考えには疑問を抱いています。


偏見・ステレオタイプとは、言い換えるならば、私たちが世界を見るときに使う「色眼鏡」のことです。そしてこの色眼鏡は過去の経験や学びを通じて形成されます。そしてその色眼鏡を通して、僕らは物事を認識し、理解します。


確かに、この色眼鏡が形成されるに従って、この色眼鏡を通してのみしか世界が見れなくなるのは否めません。より多くの経験を積むということは、より新しい経験に巡り合う確率が低まるということに繋がりうるからです。そして、この状態で新しい経験や価値観に触れた際に、今まで長年かけて形成して来た色眼鏡と矛盾する価値観が生まれたとき、僕たちは強引に色眼鏡を通してその新しい考えに触れることになってしまって、偏見やステレオタイプと言われる結果に至ってしまいます。


ただ、上の議論が「ステレオタイプを捨てないといけない」という結論に帰結するに十分な理由だとは言えません。ステレオタイプ≒色眼鏡だと上で述べましたが、色眼鏡が過去の経験を通じて形成されるということを踏まえると「色眼鏡=個性」であるという捉え方をすることができます。




確かに、一歩引いて物事を捉えることは大切です。しかし、それをするためにステレオタイプ、個性をなくしてしまうのは違うのではないかと思います。人間誰しも何かに対して偏見を抱いていて、それを無くすことは不可能です。ただ、偏見を抱いたとき、そしてそれに気づいたときに、「偏見を抱いていた」ということを自覚して、その善悪を考える内省をすることが、何より大切なのではないでしょうか。

あらくれ者のじぶんごと

私たちは「あらくれ」です。メンバー全員が荒くれた海を進む船のような人生をこれまで歩んできたことから、そう名付けました。全員が海外大への学部進学という道を選び、世界中で様々なことに挑戦しています。本ブログではその様子を日本に住む高校生や留学に興味を持つ人たちへ発信し、わたしたちの記事によって視野を広げてもらうきっかけになればと思っています。

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