皆さん、こんにちは!
最近某大学の少人数講義に潜り込もうとしたところ、
一瞬でバレてつまみ出されてしまったYuichiです。
こうしてつまみ出されてしまったために、当時近くでやっていた『社会心理学』の自己についての講義に潜り込みました。
皆さんは自分をどんな人間だと思っていますか?
この質問から始まった講義を聞いて、僕は米国大受験期に躍起になって書いていたエッセイのことを思い出しました。
アメリカでトップ大学と呼ばれるような大学を受験する際には、ほとんどの場合エッセイを書いて提出しなければなりません。ただ、これは「論文」ではありません。あなたがどんな人間なのかについて語る、エッセイなんです。
米国大学を受験する際には多くの書類を提出しなければならないのですが、その中でもエッセイは大きなウェイトを占めていると言っても過言ではありません。これはなぜかというと、エッセイは受験者が唯一「自分の言葉」で自分がどんな人間なのかアピールすることができる機会だからです。
このエッセイ、書き上げるのには大変な時間・労力・自己分析が必要です。
自分がどんな人間なのかを主観的・客観的に分析して理解するのはもちろん、それを文章にして伝えられなければなりません。そして、その文章を読んだ赤の他人が、あなたが伝えようとしている「私はこんな人間です!」というメッセージを明確に捉えられるようにする必要があります。この目的を達成するためのエッセイの書き方は様々で、一人一人のエッセイには個性があって、〇〇な書き方が参考になるっていう話をするのはナンセンスです。ただ、他の人が書いたエッセイの書き方、論理的な思考法を皆さんが思考プロセスの選択肢の一つとして持っておくのは、考え方が広がるという観点からめっちゃいいと思うので、ここに僕がどのようにこの「自分はどんな人間なのか」を伝えようとした方法と考え方、そして最後には実際に米国大学に提出したエッセイを共有します。
「自分がどんな人間なのか」という問いに答えるために、僕はエッセイを3つの要素から構成させました。
一つ目は『過去の体験』、二つ目は『その体験は当時の自分をどう変えたのか』、そして三つ目は『そこでえた気づきは今の自分にどう活きているのか』です。この構成だと、『過去の体験』をありのままに伝えることによって読んでいる人がその場で僕を見ているかのように僕の行動や考え方を伝えることができるのと、その体験が自分にとって大きいものであればあったほど、今の自分に活きていると力強くメッセージを発信することができるからです。
では僕がこの構成で実際に書いたエッセイの一部を、みなさんにシェアさせてください。
It was a sunny but cold winter day in 2014. A two-hour commute train was going as usual with my best friend and me on board. Hinged on the idea that we would both study in the U.S., we expected that one day we would reunite as old friends. That "one day" sounded positive. At that time, we just did not know that "one day" would never come.
On the next day, my best friend's seat in our classroom was empty. I thought he had merely caught a cold. Then the teacher entered the room with a sorrowful face and announced, “He passed away suddenly last night. We don't know why." The class fell silent. As the words slowly sank in, I felt a water drop falling down on my cheek. He was gone.
It took me years to fully bear my best friend's passing. But over time, the sorrow has transformed into a sort of determination. I became determined to make the most of it, living every moment as if I were living for two people. Life was so vulnerable. I became determined to live a life that I would never regret in the very moment of my demise—a life where I would always challenge myself for the better.
〜省略〜
There, I might feel inferior or stunned. However, I will always defy the odds. Through it all, I will make my best friend proud.
【日本語訳】
それは温かい太陽の陽に照らされてもどこか肌寒い2014年冬のとある日のことでした。学校が終わった後に僕と親友が乗り込んだいつもの時間の電車は、いつも通りに駅を出発しました。当時お互いにアメリカに留学することに憧れていたことから、僕らはいつか旧友としてアメリカで同窓会をすることを楽しみにしていました。その「いつか」という言葉になんの陰りも当時は感じませんでした。ただ、その「いつか」がもう来ないことなんて知る余地もありませんでした。
その次の日、教室に行くとそこに彼の姿はありませんでした。僕は単に風邪でもひいたのかと思っていました。そうしていると、暗い顔をした担任が教室に入ってきて、こう言いました。「彼は昨晩亡くなられました。死因はまだわかっていません。」クラス内の談笑は途絶え、先生が発した言葉が徐々に理解できてくるに従って、涙が僕の頬をつたっているのを感じました。彼は亡くなったんだ。
彼の死を受け入れるには数年かかりました。けれど時間が立つに連れて、その悲しみは僕の中である種の決意へと姿を変えました。2人分の人生を生きてやる、人生を後悔なく生きてやる。人の命はこんなにもはかない。僕はその時、常に「もっと」を追い求める人生、死ぬ瞬間に後悔しないような人生を行きたいと決意しました。
〜省略〜
そこで(大学)、僕はもしかしたら周りより劣っていると感じたり、あっけに取られたりするのかもしれません。けれど、僕はいつも当たり前・常識には向かって行こうと思う。親友に誇りに思ってもらうために。
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